慈母観音はマリア観音? 秩父観音 第4番 金昌寺
秩父三十四ヶ所観音霊場では、たいていの札所納経所は
12時から1時までお休みのようです。
そろそろ12時、我々もそれに合わせてお昼にします。
といってもまったく土地勘のないところ。
札所エリアに、小さなうどん・そば店、お寿司屋さん、中華料理店など
ちょいちょいあるようなのですが、車で通り過ぎて入りそびれたり・・・。
国道に出れば何かあるだろうと、国道140号へ。
そしたらかっぱ寿司(秩父店)を発見。
もぐら家、お寿司大好きだし、かっぱ寿司だけど、この際、ま、いっか、と。
(かっぱ寿司は今までどちらかというと避けてきましたが(苦笑)、
めちゃくちゃ久しぶりに入ったらそれほど悪くなかったです。)
おなかもいっぱいになったところで巡礼再開。
第四番札所、高谷山(こうこくさん) 金昌寺(きんしょうじ)へ。
大きなわらじがすごいです!
埼玉県指定文化財 秩父札所四番石佛群、とあります。
楽しみです(*^_^*)
行ってみましょう。
金剛力士像
仁王門の上に仏像がたくさん見えるのですが、裏に回ってみると、
西国三十三所観世音という扁額がかかっており、西国札所の写し本尊のようです。
いきなりユニークな仏様たちがお出迎えです。
おっ、右下に写っているのは蛇の体を持つ宇賀神さまではないですか?
これはっ??
邪鬼の上に酒樽、とっくり片手に杯を被って、すっかり出来上がったご様子。
酒呑地蔵と呼ばれているようですが、和製バッカス??
いやいや~、レアな石仏にハートわしづかみにされております( ´,_ゝ`)
境内には1300体余りの石仏がお祀りされています。
天候不順と浅間山の大噴火による天明の大飢饉で多くの人々が亡くなり、
当時の住職・古仙登嶽(こせんとうがく)が石造千体仏の安置を発願、
7年後に成就した後も寄進は続き、かつては3800体ほどあったそうです。
石段を上がって行きます。
上ったところにもまだまだ石仏。
この真ん中のはコロッケさんが、由紀さおりさんに似ている、っておっしゃってましたねぇ( ´艸`)
本堂
御本尊は行基作とも伝わる室町時代の十一面観世音菩薩。
観音霊験記
『悪人荒木丹下を観世音菩薩が娘巡礼に身を変えて改心させ大善人とならしめた
不思議な霊験なり』
金昌寺は荒木寺とも呼ばれるそうです。
本堂右手の慈母観音(子育観音)
寄進者の吉野屋半左衛門は観音様の霊験で子供を授かったが、その後子供と妻を失い、
生前の母子の姿を供養したということです。
蓮台の裏にカエルの彫刻があり、ミ(御)カエルを意味すると、この慈母観音を
マリア観音と言う人があるそうです。
母が乳を飲ませているのは幼子イエス??
仏像にしてはなまめかしいお姿で、どちらかというと芸術作品に近いような^_^;
ガイドブックによると、隠れキリシタンのマリア観音を仏教徒が慈母観音、子育観音として
信仰の対象にした、と書かれていて、なるほど、そうだったのかと。
慈母・子育観音があったらこれからちょっとそういう視点でも見てみようかと思います。
本堂の上にはまだ奥の院があるというので行ってみます。
ほんのすぐのところに六角堂。
周辺にもたくさんの石仏があるのですが・・・
なんとこのあたりの石仏はすべて首チョンパのお姿です(´・ω・`)
やっぱり明治の廃仏毀釈の痕跡なんでしょうかねぇ。
かわいそうだからか、石が載せられていたり、首が接がれていたり。
こちらはスケキヨ地蔵と命名しちゃいました。
そろそろ降りることに。
そしたら本堂脇のところでもぐぱぱが反応。
「荒舩清十郎の墓だって。」
「誰、それ?」
「ロッキード事件の証人喚問を仕切った人。」
とても立派なお墓です。
御朱印をいただきました。
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12時から1時までお休みのようです。
そろそろ12時、我々もそれに合わせてお昼にします。
といってもまったく土地勘のないところ。
札所エリアに、小さなうどん・そば店、お寿司屋さん、中華料理店など
ちょいちょいあるようなのですが、車で通り過ぎて入りそびれたり・・・。
国道に出れば何かあるだろうと、国道140号へ。
そしたらかっぱ寿司(秩父店)を発見。
もぐら家、お寿司大好きだし、かっぱ寿司だけど、この際、ま、いっか、と。
(かっぱ寿司は今までどちらかというと避けてきましたが(苦笑)、
めちゃくちゃ久しぶりに入ったらそれほど悪くなかったです。)
おなかもいっぱいになったところで巡礼再開。
第四番札所、高谷山(こうこくさん) 金昌寺(きんしょうじ)へ。
大きなわらじがすごいです!
埼玉県指定文化財 秩父札所四番石佛群、とあります。
楽しみです(*^_^*)
行ってみましょう。
金剛力士像
仁王門の上に仏像がたくさん見えるのですが、裏に回ってみると、
西国三十三所観世音という扁額がかかっており、西国札所の写し本尊のようです。
いきなりユニークな仏様たちがお出迎えです。
おっ、右下に写っているのは蛇の体を持つ宇賀神さまではないですか?
これはっ??
邪鬼の上に酒樽、とっくり片手に杯を被って、すっかり出来上がったご様子。
酒呑地蔵と呼ばれているようですが、和製バッカス??
いやいや~、レアな石仏にハートわしづかみにされております( ´,_ゝ`)
境内には1300体余りの石仏がお祀りされています。
天候不順と浅間山の大噴火による天明の大飢饉で多くの人々が亡くなり、
当時の住職・古仙登嶽(こせんとうがく)が石造千体仏の安置を発願、
7年後に成就した後も寄進は続き、かつては3800体ほどあったそうです。
石段を上がって行きます。
上ったところにもまだまだ石仏。
この真ん中のはコロッケさんが、由紀さおりさんに似ている、っておっしゃってましたねぇ( ´艸`)
本堂
御本尊は行基作とも伝わる室町時代の十一面観世音菩薩。
観音霊験記
『悪人荒木丹下を観世音菩薩が娘巡礼に身を変えて改心させ大善人とならしめた
不思議な霊験なり』
金昌寺は荒木寺とも呼ばれるそうです。
本堂右手の慈母観音(子育観音)
寄進者の吉野屋半左衛門は観音様の霊験で子供を授かったが、その後子供と妻を失い、
生前の母子の姿を供養したということです。
蓮台の裏にカエルの彫刻があり、ミ(御)カエルを意味すると、この慈母観音を
マリア観音と言う人があるそうです。
母が乳を飲ませているのは幼子イエス??
仏像にしてはなまめかしいお姿で、どちらかというと芸術作品に近いような^_^;
ガイドブックによると、隠れキリシタンのマリア観音を仏教徒が慈母観音、子育観音として
信仰の対象にした、と書かれていて、なるほど、そうだったのかと。
慈母・子育観音があったらこれからちょっとそういう視点でも見てみようかと思います。
本堂の上にはまだ奥の院があるというので行ってみます。
ほんのすぐのところに六角堂。
周辺にもたくさんの石仏があるのですが・・・
なんとこのあたりの石仏はすべて首チョンパのお姿です(´・ω・`)
やっぱり明治の廃仏毀釈の痕跡なんでしょうかねぇ。
かわいそうだからか、石が載せられていたり、首が接がれていたり。
こちらはスケキヨ地蔵と命名しちゃいました。
そろそろ降りることに。
そしたら本堂脇のところでもぐぱぱが反応。
「荒舩清十郎の墓だって。」
「誰、それ?」
「ロッキード事件の証人喚問を仕切った人。」
とても立派なお墓です。
御朱印をいただきました。
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