円仁創建、芭蕉の足跡を辿る旅 みちのく四寺回廊(14) 中尊寺
毛越寺から中尊寺に向かいました。
武蔵坊弁慶大墓碑

月見坂の入り口付近、松の木の下の弁慶の墓。
奥に見えるのが五輪塔です。
「色かへぬ 松のあるじや 武蔵坊」 素鳥
中尊寺入口

有名な月見坂が始まりました。

八幡堂

緑あふれる参道です。
弁慶堂

文政10年(1827)再建。
ご本尊は火伏の神として勝軍地蔵菩薩を祀ります。
愛宕宮と称していましたが、明治以降は弁慶堂と呼ばれるようになりました。
義経と弁慶の木造を安置します。
中尊寺では13種類ぐらいの御朱印がいただけるそうですが…。
弁慶堂の御朱印です。

東物見

弁慶堂向かいの展望所から、束稲山、北上川、衣川が眺望できます。
地蔵堂

薬師堂

小さなお堂が続きます。
本坊表門

本堂

天台宗東北大本山 関山中尊寺は嘉祥3年(850)慈覚大師円仁によって開創。
奥州藤原氏初代清衡は前九年・後三年合戦で亡くなった人々の霊を敵味方の別なく慰め、
仏国土を建設しようと、大規模な堂塔の造営を行いました。
中尊寺は山全体の総称で、本寺である中尊寺と山内17ヶ院の支院で構成されます。
現在の本堂は明治42年に再建。
本尊は丈六の釈迦如来坐像で、清衡が「丈六皆金色の釈迦如来」を安置したことにならい、
平成25年に現在の仏像が開眼、安置されました。
黄金に輝く立派なお釈迦様で、転法輪印を結んでいます。
本尊の両脇には延暦寺から分燈された「不滅の法灯」が護持されています。
本堂の御朱印をいただきました。

そして、四寺回廊の御朱印帳には「佛」の印をいただき、四寺回廊結願です!

「仏法僧宝」の四文字が集まりました。
さらに…

結願の記念に、「尊」の字の色紙です。
今回の巡礼、ミッションコンプリートです\(^o^)/
不動堂

峯薬師堂

讃衡蔵(さんこうぞう)に安置されている丈六の薬師如来は、もとはこの堂の
本尊でした。
目の病にめちゃめちゃご利益ありそうです(^◇^)

鐘楼

康永二年(1343)鋳造の梵鐘。
銘文には建武四年(1337)、山内の堂塔が火災により焼失したことが刻まれています。
讃衡蔵(さんこうぞう)という宝物館で金色堂・讃衡蔵の拝観券を購入するのですが、
レンタカー返却の時間も迫っており、まずは金色堂へ。

天治元年(1124)造立の金色堂は国宝建造物第1号で、現存する唯一の創建遺構です。
テレビで再三見てきた金色堂が目の前に…。
究極の極楽浄土とはこういうことか、と。
本尊阿弥陀如来の脇侍に観音・勢至、地蔵菩薩が左右に3体ずつ、最前列に持国天・増長天。
この構成は金色堂独特のものです。
そして荘厳(しょうごん)は、螺鈿や蒔絵、透かし彫り金具など、平安仏教美術の集大成と
なっています。
中央の須弥壇には初代清衡、向かって左の壇に二代基衡、右の壇に三代秀衡のご遺体と
四代泰衡の首級が納められています。
親子四代のご遺体の存在は世界にもほかに例がないということです。
金色堂で御朱印をいただきました。

芭蕉句碑

「五月雨の 降り残してや 光堂」
旧覆堂(重文)

現在の覆堂(1965年)ができるまで、金色堂を風雪から守るために、正応元年(1288)
鎌倉幕府によって建てられたと伝わります。
近年の調査では、金色堂は建立50年ほどで簡素な覆屋根がかけられ、
何度かの増改築を経て、この覆堂に至ったようです。

白山神社と能楽堂

白山神社は中尊寺の北方を鎮守するため、慈覚大師が勧請しました。
その境内にある能楽堂(重文)は伊達藩の再建。
毎年5月4日、5日に古実舞(古実式三番)と神事能が中尊寺一山の僧侶によって
奉納されます。
讃衡蔵(さんこうぞう)

三千点を超える、国宝・重要文化財を収蔵します。
入ってすぐに三体の丈六仏。
中央は本堂の前のご本尊の阿弥陀如来、右は峯薬師堂の前のご本尊の薬師如来、
左は旧閼伽堂の薬師如来で、すべて重要文化財。
…と最後は急ぎ足になりましたが、3泊4日・四寺回廊を中心に東北を巡る旅、
無事結願もでき、充実の巡礼となりました。
(8月29日参拝)
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武蔵坊弁慶大墓碑

月見坂の入り口付近、松の木の下の弁慶の墓。
奥に見えるのが五輪塔です。
「色かへぬ 松のあるじや 武蔵坊」 素鳥
中尊寺入口

有名な月見坂が始まりました。

八幡堂

緑あふれる参道です。
弁慶堂

文政10年(1827)再建。
ご本尊は火伏の神として勝軍地蔵菩薩を祀ります。
愛宕宮と称していましたが、明治以降は弁慶堂と呼ばれるようになりました。
義経と弁慶の木造を安置します。
中尊寺では13種類ぐらいの御朱印がいただけるそうですが…。
弁慶堂の御朱印です。

東物見

弁慶堂向かいの展望所から、束稲山、北上川、衣川が眺望できます。
地蔵堂

薬師堂

小さなお堂が続きます。
本坊表門

本堂

天台宗東北大本山 関山中尊寺は嘉祥3年(850)慈覚大師円仁によって開創。
奥州藤原氏初代清衡は前九年・後三年合戦で亡くなった人々の霊を敵味方の別なく慰め、
仏国土を建設しようと、大規模な堂塔の造営を行いました。
中尊寺は山全体の総称で、本寺である中尊寺と山内17ヶ院の支院で構成されます。
現在の本堂は明治42年に再建。
本尊は丈六の釈迦如来坐像で、清衡が「丈六皆金色の釈迦如来」を安置したことにならい、
平成25年に現在の仏像が開眼、安置されました。
黄金に輝く立派なお釈迦様で、転法輪印を結んでいます。
本尊の両脇には延暦寺から分燈された「不滅の法灯」が護持されています。
本堂の御朱印をいただきました。

そして、四寺回廊の御朱印帳には「佛」の印をいただき、四寺回廊結願です!

「仏法僧宝」の四文字が集まりました。
さらに…

結願の記念に、「尊」の字の色紙です。
今回の巡礼、ミッションコンプリートです\(^o^)/
不動堂

峯薬師堂

讃衡蔵(さんこうぞう)に安置されている丈六の薬師如来は、もとはこの堂の
本尊でした。
目の病にめちゃめちゃご利益ありそうです(^◇^)

鐘楼

康永二年(1343)鋳造の梵鐘。
銘文には建武四年(1337)、山内の堂塔が火災により焼失したことが刻まれています。
讃衡蔵(さんこうぞう)という宝物館で金色堂・讃衡蔵の拝観券を購入するのですが、
レンタカー返却の時間も迫っており、まずは金色堂へ。

天治元年(1124)造立の金色堂は国宝建造物第1号で、現存する唯一の創建遺構です。
テレビで再三見てきた金色堂が目の前に…。
究極の極楽浄土とはこういうことか、と。
本尊阿弥陀如来の脇侍に観音・勢至、地蔵菩薩が左右に3体ずつ、最前列に持国天・増長天。
この構成は金色堂独特のものです。
そして荘厳(しょうごん)は、螺鈿や蒔絵、透かし彫り金具など、平安仏教美術の集大成と
なっています。
中央の須弥壇には初代清衡、向かって左の壇に二代基衡、右の壇に三代秀衡のご遺体と
四代泰衡の首級が納められています。
親子四代のご遺体の存在は世界にもほかに例がないということです。
金色堂で御朱印をいただきました。

芭蕉句碑

「五月雨の 降り残してや 光堂」
旧覆堂(重文)

現在の覆堂(1965年)ができるまで、金色堂を風雪から守るために、正応元年(1288)
鎌倉幕府によって建てられたと伝わります。
近年の調査では、金色堂は建立50年ほどで簡素な覆屋根がかけられ、
何度かの増改築を経て、この覆堂に至ったようです。

白山神社と能楽堂

白山神社は中尊寺の北方を鎮守するため、慈覚大師が勧請しました。
その境内にある能楽堂(重文)は伊達藩の再建。
毎年5月4日、5日に古実舞(古実式三番)と神事能が中尊寺一山の僧侶によって
奉納されます。
讃衡蔵(さんこうぞう)

三千点を超える、国宝・重要文化財を収蔵します。
入ってすぐに三体の丈六仏。
中央は本堂の前のご本尊の阿弥陀如来、右は峯薬師堂の前のご本尊の薬師如来、
左は旧閼伽堂の薬師如来で、すべて重要文化財。
…と最後は急ぎ足になりましたが、3泊4日・四寺回廊を中心に東北を巡る旅、
無事結願もでき、充実の巡礼となりました。
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