GW半ば、穏やかに晴れそうだったので、海の景色がいいかも、と、特に目的地も決めず
横須賀方面へ。
高速道路はどこも大渋滞
結局、高速に乗らず、下道だけでやってきたのは、鎌倉二十四地蔵尊 第19番札所の
松得山 東漸寺(とうぜんじ)。
やっぱり札所巡りは外せません(^^)
お寺の門前でよく見かける掲示板。
『見返りをやる気のバネにしない』
なるほど(^◇^)
山門
石段を上がると、正面に本堂です。
立派な鐘楼があります。
住宅街の中にあって、大きすぎるぐらいの鐘です。
境内はがらんとしていて、勝手にお参りさせていただいていいのかどうか、
戸惑います。
本堂の扉が少し開けられているので、中を覗かせていただきました。
立派な須弥壇があり…しかし、札所本尊のお地蔵様はどちらにいらっしゃるのか、
よくわかりません。
ともかく本堂前でお参りさせていただき、左手の庫裡と思われる建物のチャイムを押してみました。
お寺のかたが出てこられて、御朱印を書いている間に本堂にお参りください、とのことでした。
本堂に上がらせていただきます。
こちらのお地蔵様は「日金(ひがね)地蔵」と呼ばれます。
鎌倉二十四地蔵尊の札所がどうして横須賀にあるかというと、
元は鎌倉の雪の下にあった松源(しょうげん)寺(現・廃寺)の本尊でしたが、
明治の廃仏毀釈により各地を転々として、昭和の初め頃、こちらのお寺に
お越しになりました。
本堂須弥壇の右手に、日金地蔵さまがお祀りされていました。
穏やかなお顔のお地蔵さまで、右手に錫杖、左手に宝珠を持ち、半跏のお姿。
像高103cmで、玉眼が入っています。
横須賀市指定重要文化財となっています。
胎内の墨書銘により、寛正3年(1462)鎌倉時代の大仏師・宗円(そうえん)により
造立されたということです。
治承4年(1180)源頼朝が源氏再興を伊豆日金山の地蔵菩薩に祈願して、成功の後、
その像を模して作ったのがこの地蔵と伝わり、日金地蔵の名前の由来となっています。
御朱印をいただきました。
長らく鎌倉地蔵尊や鎌倉観音巡礼から離れていましたが、ぼつぼつ再開できればと思います。
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テーマ : 神社・仏閣巡り
ジャンル : 旅行
こんばんは。
「解禁」されてGWも難儀されたと思いますが、その甲斐がある味わいあるお寺ですね。
「見返りをやる気のばねにしない」。・・・何だか身につまされます(´∇`;ゞ
ROWさん、こんにちは(^^)
お寺の掲示板、気の利いたのがちょいちょい話題になりますよね(^◇^)
まあ、なかなか無償のなんちゃら、は難しいですよね、人間だもの(笑)。
日金地蔵は、頼朝ゆかりというのもうなづける、威厳の感じられる立派なお像でした。
敷地内の一角に札所があります。
江戸時代に作られた、農村地域の郡の札所です。
33番まであって(ただし、1つ不明)、一度回ってみようとは思うんだけど、
とにかく時間が無い・・・。
それと、やはり、勝手にお参りしても良いのか、迷うものが多くて・・・
個人の敷地内であったり、集落の施設だったり、小さいお寺だったり・・・
まぁ、、、一番は、時間なんですが、、、
人手不足なので難しいのですが、自分がいなくても動く体制を作らないとダメだと痛感するようになりました。
無神論者ではあるけど、神にでも頼みたいような状態ですね。
nozokimiさん、こんにちは(^^)
お返事遅くなり、すみません。
へー、敷地内に札所ですか(゚∀゚)
33番まであるということは、きっと観音様ですね。
すでに廃れかかっているような札所ですかね。
めちゃくちゃ惹かれるものがあります!
最初は地域の人々の篤い信仰心から始まったのでしょうから、
彼らの願いや、希望が詰まった札所巡礼だったのでしょうね。
そういうのを巡ると、なんだか江戸時代の人々と触れ合えるような
ロマンを感じます(*^^*)
神頼みしたくなるほど多忙なのですね(;・∀・)
神様、仏様、nozokimiさんにお休みを~
敷地内にあるのは、確かに観音様です。
集落ごとに1、1つの村に2~3、郡で33あります。
集落で持ち回り管理していたのですが、
なぁなぁで管理から逃げられて、ウチの敷地内にありますね。
知る人もほとんどいない札所なので、月に1回お参りがあるか、ないかです。
調べた限りだと40年前に調べた人がいて、その時は33全て現存していたようです。
5~6年前に、その人の資料を元に調べた人がいて、その時は1つ行方不明だったようです。
現存する半分程度が、集落から邪魔者扱いされて、地域のお寺に預けられているようです。
集落の観音様なのに、お寺に預けられたり、管理から逃げられたり、不遇なもんです・・・。
自分が生きている間は、敷地内にいてもらうつもりだし、
今でも知っている人はほとんどいないから、もう少ししたら、誰も分からなくなると思います。
自分の中では、すでにmy観音様になっています。
参道の費用、観音堂の管理費用、観音堂の掃除もウチですし、
そもそも誰も知らないような観音様なので・・・
江戸時代から続く観音様があると思うと、気持ち的には安心できますね(笑)
nozokimiさん、
西国三十三所を模した札所か、オリジナルなのかわかりませんが、
江戸時代、自由に旅ができた人は限られていたでしょうから、
観音巡礼への憧れがあったのかもしれませんね。
地元の札所巡りをして、旅情を味わった気分になったのでしょう。
nozokimiさんのところの観音様、ちゃんとした観音堂にいらっしゃるのですね。
野ざらしの石仏のようなものかと思っていました。
お堂のお手入れは大変だと思いますが、素晴らしいことですよ。
マイ観音堂、欲しくても、なかなか手に入るものではありませんから、大切になさってあげてくださいね。
仏様を大事にするのは悪い気分にはなりませんよね(^_-)
1717年の書物に記載があるとのことなので、それ以前からはあるようです。
でも、松江藩が1611年に出来たことを考えると、
その郡部での札所ですから、1611年以降、どこかの札所を模倣して作ったんでしょうね。
今は、車で簡単に行ける距離ですが、
徒歩で行こうと思うと、この札所ですら、かなりの距離を歩かないといけないので・・・
観音堂は老朽化した小さい建物ですよ。
昭和の20~30年代くらいに建替えている思います。
野ざらしではありませんが、ウチ以外管理しているとは思えませんから、
壊れた時の費用負担はウチになってしまいそうです。
他の家と合同管理のはずですが、代替わりで話が付きそうにありませんし、
話をしたところで、お寺に預けてしまえ、となるだけだと思います。
まぁ、、、観音堂があるのも何かの縁ですから、
ウチに永住してもらおうかな、と思っています。
何らかの御利益があれば良いですけどね(笑)
nozokimiさん、
観音巡礼は文化の側面もあり、残っていってほしい習俗ですが、本家の西国ですら、
参拝する交通手段がなくなり、門前が廃れ、老朽化する建物の保存に、寺院も大変そうです。
今、回っている信濃三十三観音がギリな感じです。
札所会があり、専用御朱印帳もあり、御朱印もいただけます。
観音堂のみ残る地域では、地元の人々で持ち回りで御朱印をくださいます。
それはそれで大変そうです。
巡礼でなければ、一生のうち、絶対にこんなところには来なかったよね、というところばかり。
でも、観光とはちょっと違って、本当のその地域の姿を知ることとなり、
興味深いです。
nozokimiさんの代までは、なんとか頑張って残していただきたいです(;・∀・)
信濃三十三観音をググってみましたが、
こちらと比べて、あまりに立派で驚きました。
こちらでも、出雲三十三観音霊場はあり、こちらはまだ回れそうですですが、
ウチにあるのは島根札三十三観音霊場であり、
お寺に移設されている観音堂はともかく、
私有地にある観音堂は見つけにくい、駐車場が無いで苦労しそうです。
当然、御朱印などありませんし・・・(笑)
いつか、島根札の札所巡りをしたいと思っているんですが、
駐車場が無いところがあるので、どうやって参ろうか、思案中です。
仕事を辞めたら、
自分の札所巡りでもやってみたいなーっと思いますし、
東南アジアあたりで長期滞在もやってみたいんですけど・・・
(長期滞在は家の管理が出来なくなるから、嫁に反対されている。。。)
のんびり生きたいだけなのに、こんなに大変とは・・・。
とかく、世の中はしがらみだらけです。。。
nozokimiさん、
信濃三十三観音は、札所中に、奈良・鎌倉の長谷寺系列の「長谷寺」という立派な寺院の札所もあり、
かなりメジャーな方の観音巡礼だと思います。
ただ、「限界札所」的なところもいくらかあり、例えばこことか。
http://kamakuratrip.blog.fc2.com/blog-entry-1315.html信濃観音のエリアはめちゃめちゃ広くて、御朱印をいただきそびれると再訪になるので、
横浜から半日かかって現地へドライブしているものとしては、身体的、精神的に
なかなかきついものがあります(;・∀・)
島根札三十三観音霊場、郡の小さな観音巡礼みたいですね。
でも、札所が自分ちにあるってすごいです!
素晴らしいご縁だし、消滅してしまった札所があったとしても、ぜひ巡っていただきたいです。
御朱印などなくても、お寺や観音堂に参拝できなくても、前まで行って写真を撮ってくるとか(笑)、
そういうことだけでも、33ヶ所回れた時は、なにかしらの達成感があると思いますよ(^◇^)
近場なら自転車でも行けるのかもしれませんし、コインパーキングがあれば利用して、
農村地帯なら、ちょこっと止めさせていただくとか。
地元であっても、いろんな発見があるんじゃないかな。
まずどこか一ヶ所、お出掛けのついでに訪れてみられてはいかがですか?
nozokimiさんがお仕事忙しくて、大金持ちになられたら、将来、巡礼を復興してくださらないかと
思うぐらいです(^◇^)
札所は誰が管理するか、、、
管理している人の財政状況に応じて、管理が変わってくるんだと思います。
横のつながりは、メジャーな札所でないと無いんでしょうね。
御朱印帳は嫁が持っていますが、
嫁も自分の仕事を手伝っているので、ほとんど集まっていないようです。
集めると面白いだろうな、とは思うんですが・・・
島根札は地元ですから、車を使えば1~2日で回れそうですが、
同時に、ここは停める場所が無いよなーっとか考えてしまいます。
駐車場があって当たり前の地域性なので、路上駐車はかなり抵抗があるんですよ。
その割にコインパークは中心部にしかなく、ちょっと郊外になるとコインパークは有りませんから・・・
札所は、ちょっと郊外になりますから、コインパークの皆無の地域ばかりなんですよ。
でも・・・行かない理由を探しても仕方ないから、言ってみるかな。
小さなことが転機になるかもしれませんしね。
自分の仕事じゃ、大金持ちにはなれませんね。
それなりに裕福にはなれても、その程度ですね。
忙しいばかりで、夢が無い感じですね。
まぁ、、、物欲もほとんどないんですが・・・。
nozokimiさん、
札所は誰が管理するか、お金を出すか、そこが札所存続の分かれ目ですよね。
お寺ならなんとかなるのでしょうが(それでも、御朱印で回るところなど、住職しかいないようなお寺だと
かなりの問題のようですが)、
「ぼつんと観音堂」のところは、地域でなんとかするしかないのでしょうね。
御朱印は、今めちゃめちゃ流行ってますね。
私は特に御朱印が目当てではないのですが、じかにイラストを描いてくださる御朱印やら、
切り絵御朱印やら、御朱印の域を超えたのがいろいろありますね(^◇^)
メジャーじゃない巡礼札所の駐車場は困ることも多いでしょうね。
信濃観音だと、ちゃんとした駐車場がないところも多いのですが、
管理者のほうで、ここに止めてください、と決めてあったりしますね。
私も何か大きな目標があって巡礼を始めたわけではなく、娘がこういうのがある、と言い出して、
気分転換や運動がてら、それに便乗したら
おもしろくなってしまいました。
札所やお寺は、なにかしら、名所・旧跡にあったりして、そこから歴史や地史を学んだり、
お祭りなどの文化、仏教美術などに触れられるので、五感が刺激されますね。
高齢で巡礼されるかたも多いですが、ボケ防止にはぴったりです(^◇^)
こちらの観音堂の地域は、松江の郊外なんですが、
昭和30~40年代から人口が増え始めた地域が大半なんですよ。
ただの農地が、いきなり資産に変わった地域なんです。
それまで地域で管理されていたものが、
お寺に移されたりしたのは、土地が資産に変わったからなんです。
観音様の為に、土地を出したくない・・・
そういう人の嫌なところを感じる札所なんですよ。
観音堂の敷地だけで、200万くらいの地価はありますし、
それを駐車場として貸せば月に2万とか、不労所得になる。。。
観音様に土地を出すより、人に売ったり、貸したりした方が良い・・・、
そういう理由で他の管理者は管理を嫌がって、
当時地域の若手だった父親に押し付けられました。
父親も年を取って、迷惑だったら自分の代で片付けて、お寺に預けると相談を受けました。
地域を守る為にと札所を作っておきながら、
地域が発展したら、邪魔だからとお寺に預けていく・・・
もう、そういう人の嫌なところが、生理的に受け付けられなくて、
損得だけで、観音堂をお寺に預けるとか、したくなかったんですよ。
だから、お金はかかるけれども、ウチで管理しようと決めました。
そういう気持ちがあるから、my観音様だ、って言っているわけです。
少し、話が変わって・・・
神社に参拝する時は、氏神様から先に参拝するって聞いたことありませんか?
つい大きい神社の方が御利益が大きいように感じて、そちらに行ってしまうけれども・・・
そう考えると、遠くの神社を参拝するよりも、ウチの観音様に参るべきなのか?とか考えたりします。
いやいや、観音様はお寺の管轄?だから、神社とは関係ないよな・・・とか?
もう観音様が家にいるんだから、お参りの必要もないか?とか、考えながら生きていますけどもwww
nozokimiさん、
また寺社巡りに出掛けており、お返事が遅くなりました。
地域が都市化されて、農地が高騰して、売る売らないで揉め事になったりは、あるあるですかね。
横浜は意外と古墳の多いところで、宅地開発や道路敷設で、掘ったら結構出ちゃうんですね(^^;)
でも、ほとんどが調査が終了すれば、そのまま工事が進められて、マンションが建ってしまったり、ですよね。
歴史や文化の痕跡は、近代化、都市化の前には滅び行く運命なのでしょうか。
札所の場合は、お金の問題だけでなく、日々の管理ができるか、という人手の問題もあるので、
難しいですね。
それに、nozokimiさんがおひとりで頑張ったところで、札所は33か所もありますし。
ドライな世の中では札所存続は本当に困難です。
nozokimiさんちの観音様、これまで多くの人々の希望や願いを受け取り、また成就されてきた
立派な観音さまのはずですので、できる範囲でどうか大切になさってください。
それぞれの土地土地で、元々地主神がいて、そこに寺院を建てるのに、寺を守る鎮守神を勧請して…、
明治の神仏分離令が出るまでは、結局、いろんな神様や仏様をボーダーレスにお祀りし、敬ってきたので、
うちの神様仏様はこの方、って思ったら、そうなんだと思います(^◇^)
埋蔵文化財は、松江でも同様ですよ。
人が住んでいるところの大半は、何らかの遺跡が出てきますから・・・
調査でも入っただけマシ、大半は調査もされずに、そのまま壊されていますよ。
日本の宗教(神社、寺)は江戸時代の身分制度とも紐づいていますから、単純じゃないですね。
そこの明治政府が神仏分離令を出したから、余計にグチャグチャになっていますから・・・
まぁ、そのグチャグチャ、良く言えば寛容性?が日本の文化ですし、、、
世界中に色々な宗教があることを考えると、、、
どれを信じても、結局、同じなのかもしれません。
そうなると、自分は観音様が一番身近だし、観音様を大事にしようかな・・・。
(まぁ、氏子、檀家ですから、そちらとも繋がっていますが・・・)
nozokimiさん、
四国八十八ヶ所は別として、たいていの観音などの巡礼は、宗派を超えて札所が定められています。
その「ゆるさ」、「寛容さ」が魅力に感じているんですよ。
なかなか海外ではありえないでしょうね。
皆それぞれ、家の宗派がありながら、観音巡礼をするのです。
家の宗教行事と、巡礼先の行事が違っていても、それはそれ、って(笑)。
「縛り」にこだわらないことはいいことですよ。
神頼みがだめなら、仏頼みとか、そういうのが心のゆとりというか安らぎというか(笑)。
「信じる者は救われる」…自分にとって気持ちのよい宗教観が一番よいのだと思います( *´艸`)