鎌倉 杉本寺の「四万六千日」 鎌倉地蔵尊第4番、第6番
8月10日、鎌倉の寺院の大きな行事に「四万六千日」(しまんろくせんにち)が
あります。
観音さまの「功徳日」(くどくび)として、鎌倉では坂東三十三観音巡礼の札所の
杉本寺(HP)、安養院、長谷寺(HP)で「四万六千日」の行事が行われます。
「四万六千日」に関しては、坂東観音霊場第13番札所の浅草寺のサイトに
説明文があります。
浅草寺での「四万六千日」は7月9日、10日とのことです。
覚園寺の黒地蔵縁日(ブログ記事)のお参りを終えて、徒歩で杉本寺に向かいました。
鎌倉宮を経て、天神前のバス停の手前を左折、第二小学校の脇を通り抜けると
金沢街道に出ます。東の方向へ少し歩けば杉本寺です。
到着です。

到着した時には11時を回っていて、
なんたって大好きな覚園寺で長居していたからなぁ(´~`ヾ) ポリポリ・・・
10時からの三十三観音大法要も終了していたようです。
拝観受付の窓は閉じられており、本日の入山は
法要後でも無料のようです。
仁王門です。

もぐまま定番撮影の金剛力士像。

あちこちのお寺で仁王像を撮影するもので
手慣れてきたと思います( ´艸`)
杉本寺 (2013年1月2日の様子)
杉本寺 (2014年5月18日の様子)
杉本寺 (2014年12月7日の様子)
仁王門の先には有名な「苔の階段」。

苔は保護されているので、左脇にある石段から本堂に向かいます。
これまでは季節や機会に恵まれず、青々とした苔の階段を見ることが
できなかったのですが、今日はこの通り。

石段を上がって本堂に到着です。
本堂(観音堂)は県の重要文化財です。

五輪塔群前には施餓鬼供養の塔婆が並べられていましたが
これも片づけられつつありました。
覚園寺で雨粒を1滴ほど感じたのはあったのですが、
杉本寺、お昼近くにまたこのピーカン!
もう、暑くて暑くてフラフラです。
手水(水道ですが)で少し体を冷やし、本堂へ。
本堂内は撮影禁止なのでこのあたりから。

今日は「四万六千日」の奉納旗が出ています。
あら、誰かが落としたお帽子がかかっています。
入口付近で般若心経をあげました。
納め札も持っていたので納めさせていただきました。
実は、今日は観音さまの縁日の「四万六千日」ではありますが、
もぐままは鎌倉二十四地蔵尊の巡礼で伺ったのです。
杉本観音の御本尊は三体の十一面観音です。
鎌倉二十四地蔵尊の「札所本尊」は二体のお地蔵様です。
本堂奥、左手に二体いらっしゃいます。
本堂左手隅にいらっしゃるのが運慶作と伝わる室町時代の地蔵菩薩立像、
その右手にお立ちなのが(水子地蔵となっている)安阿弥(あんなみ)(快慶)作と伝わる
鎌倉時代の地蔵菩薩立像(市文)です。
杉本寺は坂東観音第一番霊場、鎌倉観音、鎌倉地蔵などの札所ですので
御朱印をいただくかたが多く、たいていはしばらく並ぶことになるのですが、
お参りもしつつ、御朱印所に人がいない時を見計らって
そっこーで鎌倉地蔵の御朱印をいただきました。
鎌倉二十四地蔵尊 第四番 杉本寺 身代(みがわり)地蔵尊

鎌倉二十四地蔵尊 第六番 杉本寺 尼将軍(あましょうぐん)地蔵尊

観音様のご縁日ですが、地蔵の御朱印にも「四萬六千日」と
印を押してくださって、記念日となり感激です!
第5番は光触寺の塩嘗(しおなめ)地蔵尊(後日のブログ記事)なので、
鎌倉地蔵専用にしている御朱印帳(鎌倉地蔵公式御朱印帳は存在しません)の
1ページを飛ばしてふたつ書いていただきました。
同日に光触寺にお参りできればよかったのですが、おそらく8月中はお休みですので
またの機会に。
で、この御朱印に書かれているのは、身代地蔵と尼将軍地蔵です。
もぐまま、お地蔵さまがおふたりいらっしゃるのは存じていますが、
どちらがどちらなのかわかりません。
それでお寺のかたに伺ってみましたら、ご丁寧に前まで案内してくださって
左手奥隅の運慶作の(とても慈愛に満ちた表情の)お地蔵様が身代地蔵尊、
水子地蔵となっている(きりりとしたお顔立ちの)お地蔵様が尼将軍地蔵尊だと
いうことでした。
お寺の御本尊の三体の観音様は本堂一番奥のガラス張りの向こうに安置されています。
左には三体のうち最も古い、行基自ら刻んだという十一面観音(市文)、
中央の観音様は仁寿元年(851)の慈覚大師(円仁)の作、
右の観音様は寛和2年(986)に恵心僧都(えしんそうず)(源信)の作とのことです。
秘仏本尊は三尊同殿という扱いで、中央と右の二体は明治32年に国宝指定、
現在は重要文化財となっています。
いつもでしたら、この奥まったところの観音様は柵の手前からしかお参りできないのですが、
法要の片づけをなさっていて、その方が、「どうぞ、こちらまで」とガラス扉のまん前まで
誘導してくださいました!
やはりご縁日に伺うと良いことが待っています。
いままで遠目から暗がりを眺めているだけだったのですが、こんな間近から拝見できるとは!
それでも非常に暗いので、観音様のお顔が判別できるほどではないのですが、
今まで疑問だった一番左の、通称覆面(下馬)観音さま(ブログ記事)。
杉本寺でいただく御影では覆面をされているのですが、実際の観音様には
お顔の様子はわからないものの覆面はありませんでした。
これは今回の発見です!
仏像ワンダーランドの杉本寺、それぞれの仏像のディテールをつぶさに拝見するには
一日でもいられるのですが(笑)
あまりじろじろと見て長居していると怪しまれると思うので、
本堂の中を2周ぐらいしてお寺を後にするようにしています(*^_^*)
本堂脇の六地蔵です。

右端の石仏は三浦義明の長男杉本太郎義宗(よしむね)が
守り本尊とした地蔵菩薩と伝わるそうです。
鐘楼脇を通って本堂から下って行きます。
石段の途中、杉本寺から東のほうを望んだ遠景です。

天気予報、悪かったはずなのになぁ(笑)。
仏像を拝観している間に、随分体力が回復したのですが、
再びの暑さ。
第五番の光触寺が「お休み」(?)のことを確認しに歩いて行ってみようかという
思いも吹き飛び(笑)
(お寺のご予定は例年のことでしょうから、今年は開いています、ということもないでしょう)
手持ちの水も底をついてきたので、無理はするなということでしょう、
バスで鎌倉駅まで戻ることにしました。
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あります。
観音さまの「功徳日」(くどくび)として、鎌倉では坂東三十三観音巡礼の札所の
杉本寺(HP)、安養院、長谷寺(HP)で「四万六千日」の行事が行われます。
「四万六千日」に関しては、坂東観音霊場第13番札所の浅草寺のサイトに
説明文があります。
観音さまのご縁日は「毎月18日」ですが、これとは別に室町時代以降に「功徳日(くどくび)」と呼ばれる縁日が新たに加えられました。月に一日設けられたこの日に参拝すると、百日分、千日分の参拝に相当するご利益(功徳)が得られると信仰されてきました。中でも7月10日の功徳は千日分と最も多く、「千日詣」と呼ばれていましたが、浅草寺では享保年間(1716~36)ごろより「四万六千日」と呼ばれるようになり、そのご利益は46,000日分(約126年分)に相当するといわれるようになりました(この数については「米一升分の米粒の数が46,000粒にあたり、一升と一生をかけた」など諸説ございますが、定説はありません)。
浅草寺での「四万六千日」は7月9日、10日とのことです。
覚園寺の黒地蔵縁日(ブログ記事)のお参りを終えて、徒歩で杉本寺に向かいました。
鎌倉宮を経て、天神前のバス停の手前を左折、第二小学校の脇を通り抜けると
金沢街道に出ます。東の方向へ少し歩けば杉本寺です。
到着です。


到着した時には11時を回っていて、
なんたって大好きな覚園寺で長居していたからなぁ(´~`ヾ) ポリポリ・・・
10時からの三十三観音大法要も終了していたようです。
拝観受付の窓は閉じられており、本日の入山は
法要後でも無料のようです。
仁王門です。

もぐまま定番撮影の金剛力士像。


あちこちのお寺で仁王像を撮影するもので
手慣れてきたと思います( ´艸`)
杉本寺 (2013年1月2日の様子)
杉本寺 (2014年5月18日の様子)
杉本寺 (2014年12月7日の様子)
仁王門の先には有名な「苔の階段」。

苔は保護されているので、左脇にある石段から本堂に向かいます。
これまでは季節や機会に恵まれず、青々とした苔の階段を見ることが
できなかったのですが、今日はこの通り。

石段を上がって本堂に到着です。
本堂(観音堂)は県の重要文化財です。

五輪塔群前には施餓鬼供養の塔婆が並べられていましたが
これも片づけられつつありました。
覚園寺で雨粒を1滴ほど感じたのはあったのですが、
杉本寺、お昼近くにまたこのピーカン!
もう、暑くて暑くてフラフラです。
手水(水道ですが)で少し体を冷やし、本堂へ。
本堂内は撮影禁止なのでこのあたりから。

今日は「四万六千日」の奉納旗が出ています。
あら、誰かが落としたお帽子がかかっています。
入口付近で般若心経をあげました。
納め札も持っていたので納めさせていただきました。
実は、今日は観音さまの縁日の「四万六千日」ではありますが、
もぐままは鎌倉二十四地蔵尊の巡礼で伺ったのです。
杉本観音の御本尊は三体の十一面観音です。
鎌倉二十四地蔵尊の「札所本尊」は二体のお地蔵様です。
本堂奥、左手に二体いらっしゃいます。
本堂左手隅にいらっしゃるのが運慶作と伝わる室町時代の地蔵菩薩立像、
その右手にお立ちなのが(水子地蔵となっている)安阿弥(あんなみ)(快慶)作と伝わる
鎌倉時代の地蔵菩薩立像(市文)です。
杉本寺は坂東観音第一番霊場、鎌倉観音、鎌倉地蔵などの札所ですので
御朱印をいただくかたが多く、たいていはしばらく並ぶことになるのですが、
お参りもしつつ、御朱印所に人がいない時を見計らって
そっこーで鎌倉地蔵の御朱印をいただきました。
鎌倉二十四地蔵尊 第四番 杉本寺 身代(みがわり)地蔵尊

鎌倉二十四地蔵尊 第六番 杉本寺 尼将軍(あましょうぐん)地蔵尊

観音様のご縁日ですが、地蔵の御朱印にも「四萬六千日」と
印を押してくださって、記念日となり感激です!
第5番は光触寺の塩嘗(しおなめ)地蔵尊(後日のブログ記事)なので、
鎌倉地蔵専用にしている御朱印帳(鎌倉地蔵公式御朱印帳は存在しません)の
1ページを飛ばしてふたつ書いていただきました。
同日に光触寺にお参りできればよかったのですが、おそらく8月中はお休みですので
またの機会に。
で、この御朱印に書かれているのは、身代地蔵と尼将軍地蔵です。
もぐまま、お地蔵さまがおふたりいらっしゃるのは存じていますが、
どちらがどちらなのかわかりません。
それでお寺のかたに伺ってみましたら、ご丁寧に前まで案内してくださって
左手奥隅の運慶作の(とても慈愛に満ちた表情の)お地蔵様が身代地蔵尊、
水子地蔵となっている(きりりとしたお顔立ちの)お地蔵様が尼将軍地蔵尊だと
いうことでした。
お寺の御本尊の三体の観音様は本堂一番奥のガラス張りの向こうに安置されています。
左には三体のうち最も古い、行基自ら刻んだという十一面観音(市文)、
中央の観音様は仁寿元年(851)の慈覚大師(円仁)の作、
右の観音様は寛和2年(986)に恵心僧都(えしんそうず)(源信)の作とのことです。
秘仏本尊は三尊同殿という扱いで、中央と右の二体は明治32年に国宝指定、
現在は重要文化財となっています。
いつもでしたら、この奥まったところの観音様は柵の手前からしかお参りできないのですが、
法要の片づけをなさっていて、その方が、「どうぞ、こちらまで」とガラス扉のまん前まで
誘導してくださいました!
やはりご縁日に伺うと良いことが待っています。
いままで遠目から暗がりを眺めているだけだったのですが、こんな間近から拝見できるとは!
それでも非常に暗いので、観音様のお顔が判別できるほどではないのですが、
今まで疑問だった一番左の、通称覆面(下馬)観音さま(ブログ記事)。
杉本寺でいただく御影では覆面をされているのですが、実際の観音様には
お顔の様子はわからないものの覆面はありませんでした。
これは今回の発見です!
仏像ワンダーランドの杉本寺、それぞれの仏像のディテールをつぶさに拝見するには
一日でもいられるのですが(笑)
あまりじろじろと見て長居していると怪しまれると思うので、
本堂の中を2周ぐらいしてお寺を後にするようにしています(*^_^*)
本堂脇の六地蔵です。

右端の石仏は三浦義明の長男杉本太郎義宗(よしむね)が
守り本尊とした地蔵菩薩と伝わるそうです。
鐘楼脇を通って本堂から下って行きます。
石段の途中、杉本寺から東のほうを望んだ遠景です。

天気予報、悪かったはずなのになぁ(笑)。
仏像を拝観している間に、随分体力が回復したのですが、
再びの暑さ。
第五番の光触寺が「お休み」(?)のことを確認しに歩いて行ってみようかという
思いも吹き飛び(笑)
(お寺のご予定は例年のことでしょうから、今年は開いています、ということもないでしょう)
手持ちの水も底をついてきたので、無理はするなということでしょう、
バスで鎌倉駅まで戻ることにしました。
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